バンコクで地震発生!語学学校で遭遇したバンコク地震、その日を振り返る

バンコク
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2025年3月28日 現地時間の13時20分にミヤンマー西部で起きた地震は遠く離れたバンコクにも揺れをもたらしました。
タイ全体では地震活動は稀でバンコクでの今回の地震は、なんと95年ぶりの有感地震だったそうです。

私はこの時語学学校の教室で午後の授業が始まった直後で地震が発生しました。
多国籍の外国人しかいない状況でどのように行動したか。
反省点も含めてご紹介します。

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地震の日の状況

3月28日は月末の金曜ということもあり、この日を最後に学校を離れ帰国する学生などが多い日でした。
またね、といつの日かの再会を夢見て写真を撮り合ったり、毎週金曜の夜に開催される学校主催のアクティビティはドリンキングパーティなので、後で会おうね、と夜の再会を誓って一旦解散という状況でした。

私は午後のグループレッスンがあり、ほかの学生はビジネスレベルのクラスや個人授業を受けていました。

地震発生

最初は誰もが眩暈かな、と個人的な健康状態を心配しました。
しかし絶対に動くことのない窓の外にかかるアーチのようなオブジェが揺れているのを見て地震と確信。
タイ時間13時20分(日本時間15時20分)、ミャンマーで発生したマグニチュード7.7の地震はミャンマーの隣国タイの首都バンコクにおいてはマグニチュード4.5だったとのことです。

教室での行動

教室にはアメリカ(LA)出身の20代の女性教師、台湾人とベルギー人の20代女子、そして日本人中年女性。そうです、私です。

私は「とりあえず机の下に隠れとこか」と少し大袈裟かな、と思いながら一旦机の下への避難を提案しました。
すると台湾人の女子(大学生)がゆっくり教室の入り口に歩いていきました。
先生が「隠れて!」と声を掛けると、彼女は閉じ込められないように、扉を開けに行っただけでした。
この落ち着いた行動に私はただ感嘆しました。

学校は9階にあり、約5分ほど震度2ー3くらいの体感で揺れ続けました。 
後から聞くと、その間2度目の地震が来ていたようです。
その時に「ガシャーン」という音が聞こえ、後でその理由を知ることとなります。

比較的全員落ち着いていて、ベルギー人は地震が初めての経験だと言っていましたが、窓から見えるビルが揺れる光景を机の下で撮影していました。

ようやく避難

先生が他の教室を確認しに行ってくれました。
しかし驚きの表情で戻ってきて、「信じられない!誰もいない!!私たちも逃げよう」ということで、
私はバックを持って逃げようとしたら「置いとこっか」と言われました。
すぐ戻るしいいか、と思いスマホとお財布とハンカチだけ持って教室を出ました。

もちろんエレベーターを使う人は誰もいなくて、みんな階段で1階を目指していました。
階段には脱ぎ捨てられた靴や、落としても拾うことができなかった服などがあり、地震発生時の混雑が垣間見られました。

建物の前は大混雑

外に出ると大勢の人がすでに避難していました。
こんなにも多くの人がこのビルにいたと知り驚きました。そして、タイのビルは日本とは違い耐震強度に不安があるので地震発生時はビルから退避するのが正解やったんかな…と感じる光景でした。

この時点でとんでもない状況になってたんだな、とようやくわかり始めました。
日本にいる家族はおそらく地震に巻き込まれているなんて知る由もありません。
そのため、地震が起きたこと、無事であることをラインで伝えました。

しかしながら、ビルの外に出ても語学学校は幸か不幸かアソークの一等地に位置しています。
向かいにはハイアットリージェンシーがあり、その隣には高級コンドミニアムが立ち並んでいます。
このエリアには外資系ホテルや高層オフィスビルが集中しており、道幅が狭いため、もしビルが倒壊した場合には、周囲に大きな影響を及ぼす状況でした。

実際に、ハイアットリージェンシーでは外壁が崩れ落ちていました。

呆然とする人々

私たちが遅れてビルの外に到着すると、カナダ人の先生やタイ人の学校スタッフから「すべての教室を確認せず申し訳ありません」とお詫びされました。私たちの教室が建物の端にあったことや、机の下で小さくなっていて見えなかったことが原因だったのかもしれません。

しかし、日本では地震発生時にはじっとしていることが一般的だと確信していた私にとって、揺れが続く中で各教室を見回ってくれていたことは大変驚きでした。

普段は陽気で授業が面白いイギリス人の先生がパニックに陥り号泣してしまったり、タイ人のタイ語の先生が揺れと同時に教室から飛び出し一人で避難してしまったりと、日本の地震ではあまり見られない状況でした。

アメリカ人の先生はホワイトボードマーカーを、タイ人の先生はタイ語のテキストを握りしめたまま逃げていました。その様子から、彼らがどれほどパニックに陥っていたのかが想像できます。

タイは「地震が起こらない国」と言われており、ヨーロッパも地震が少ないと聞きます。
そんな彼らにとっては初めての地震体験――足元が揺れた瞬間、この先何が起こるのかわからないという恐怖があったことでしょう。

行く当てのない人々と公園に向かう人々

タイで一番暑い時期の3月末、炎天下の昼下がりにビルに入ることもできず喉の渇きを感じます。
建物の前に学校関係者が集まって全員の安全確保のため、なるべく別行動が許されない状況でした。
「セブンにお水を買いに行く」と宣言すると、我らのセブンイレブンはまさかの営業中止。
「その先のタイ料理店で売っているよ」と学校スタッフに教えてもらいました。

ハイアットリージェンシーのコックさんたちも外に避難していました。
このあたり一帯はTerminal 21を含めすべてのビルで入構が規制されていて、どの建物にも入ることができません。

(写真は普段のアソーク交差点)

ベンジャキティ公園 – Google マップ
学校の指示で徒歩15分ほどのベンジャキティ公園に向かうことになりました。
普段なら駅から駅までほぼ途切れることなく続く歩道橋「スカイウォーク」を利用してアソーク駅まで行くのですが、この日はやはり不安が大きいのか、誰も利用していませんでした。

その影響で歩道は人であふれ、アソーク交差点に向かう人々で、まるでスタンピードが起きそうな状況でした。

公園へ向かう理由は、遮るものが何もない安全な場所を目指すため。
しかしそれは同時に、直射日光を浴び続けることを意味します。
今度は熱中症の危険が心配になり、「困ったなぁ…」ととぼとぼ列の最後尾を歩いていたところ、はぐれました。

一人になった、さてどうする

かばんは教室にあり、いづれ取りにいかなければならないので学校に引き返すことを決心します。
暑いし、手を洗いたいし、何ならトイレも行きたい。
というわけで学校の向かいのハイアットリージェンシーに行きました。

「じゃまするで~」と心で挨拶しロビーに入ると、チェックイン待ちの人や、客室の安全確認が終わらず中に入れない人たちが待機していました。急遽バンケットルームから椅子が追加され、全員が座れるように配慮されていました。

私もその椅子に腰を下ろすと、すぐにスタッフの方が「地震の情報は随時お知らせします」と声をかけてくれました。

その後すぐに冷水、そして温かいマフィンがふるまわれました。

しばらくすると公園に避難していた友人から連絡があり、私の無事と安全に避難している状況を報告すると「ジブンもそっちに行く!」と宣言ののち、プツっと通話が切れました。
そうです、彼女はちあきの旅でおなじみの気の合う日本人の友人です。

友人がハイアットリージェンシーに到着

ハイアットリージェンシーでは、各客室の安全確認が終わり次第案内する予定であることや、見込み時間について支配人らしき人物が拡声器を使ってアナウンスしていました。
普段なら静けさと落ち着きが漂う高級ホテルのロビーで、拡声器が使用されている状況は、その非日常感を一層際立たせていました。

ふと目の前を見ると、同じクラスの中国人男性を発見。彼は午後の授業がなく、Terminal21でランチをとっているときに地震が発生。
すぐに退避を命じられ、BTSやMRTが止まっているため帰宅困難になったとのこと。

彼は自分のスマホの充電を終えると、「必要なら使ってね」と気遣って貸してくれました。その間、彼はSNSで状況を確認し、揺れの影響でインフィニティプールの水が階下に大きく流れ落ちる様子や、工事中のビルの屋上に設置されていた建設機械が落下する映像を見せてくれました。

彼の自宅もコンドミニアムの28階にあり、管理人から「現状では中に入ることができない」との連絡を受け、途方に暮れている様子でした。

そして友人が到着。ダンキンドーナツを2ダース抱えてショーアップしました。
聞くと、この日が最後の授業だったカザフスタンの男性が学校への餞別で大量にドーナツを差し入れ⇒公園に先生がドーナツを持って避難⇒真夏の炎天下で誰も食べる気力がなく⇒一人二人と離散し始め⇒友人がもったいないと思いドーナツをとりあえず引き取り⇒両手に抱えてハイアットリージェンシーに来た との構図です。

食べる?と聞かれたものの、「さっきあったかいマフィンをいただいた」と言うと、「公園はカヲスだった」と不機嫌でした。
公園はとにかく暑いし道中は混雑して、往復大変だったとのこと。
「ちあき正解」と静かに言われました。

学校の被害

10階まで吹き抜けのビルはどこかの壁が剥がれ落ち、1階のベンチに直撃しています。
このほか小さな欠片がいくつも散らばっていました。

机の下に避難中に聞いた音は建物の外壁が一気に剥がれ落ちた音だったようです。
人の行きかう道路側ではなかったのが幸いでした。

建物にはこの後3日間立ち入ることができず、通信設備の確認もあり月曜日はオンライン授業になりました。

私の住むフルサービスアパートメントは低層の8階建てで、当初ホテルとして建設したためヒビ一つ入っていませんでした。
この地震で2か月後にはタイの高層コンドミニアムの価格が下がったとNHKニュースで知りました。

同じ学校に通い、同じサービスアパートメントに住んでいる韓国人男性に、帰宅前にラインで被害状況を尋ねたところ、「何もなかった」と教えてもらい、安心しました。

交通手段はなく、お店は通常営業へ

BTSもMRTの運行を取りやめ、バイクタクシーも捕まらないという帰宅困難者が続出しました。
私は学校の近くに住んでいたため徒歩で帰宅できましたが、この日が最後という人たちと夕食に行くことに。

アソークにはコリアンタウンがあり、韓国人の学生が(本業はソウルで薬剤師)オーダーをすべて取ってくれました。そのおかげで、韓国人オーナーからかなりのサービスを受けることができました。

不安な時間を過ごすときは、友人と一緒にいる方がやはり安心しますね。

実際に出会った優しい人々

タイ人の学校スタッフは、学生が学校に戻るたびに9階まで階段を使って荷物を取りに行ってくれました。私たちで8回目とのことで恐縮し固辞しましたが、「とにかく気を付けていってください」と念を押してくれ、心からの優しさが伝わりました。

みんなの分のお水を買って配ってくれた日本人の大学生や、近くのホテルに滞在しながらも安否確認のために戻ってきた日本人男性。そして、ダンキンドーナッツを引き取ってくれた友人――その日は、さまざまな形の優しさに触れる一日でもありました。

翌日はタイ首相に遭遇

翌日はBTSもMRTも復旧したということで、パーククローン花市場に出かけることに。
MRTのスクンビット駅構内に人だかりが。

画像の左端に写るのはスーツを着たタクシン元首相の次女、ペートンタン首相です。
おそらく交通の安全運行を視察していたのではないかと思います。

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まとめ

海外で地震や災害に遭うという前提で出かける人はほとんどいないと思います。
そのため準備を怠りがちですよね。もちろん私もその一人でした。
今回の地震で学んだことは、日本のスタンダードは海外では通用しないということです。

建物倒壊の危険性が高い国はすぐに退避する。地震に慣れていなくてパニックを起こしている人をいかに安心させるか。
実際に受け取ったメッセージですが、「政府が次の地震は1時間後にやってくる」という情報を拡散している人がいました。地震が予知できるのかわからず、ただ不安が募るばかりでした。

このような情報に惑わされず、信頼しあえる人とともに過ごす、そのために一人でも多くの人と出会い友達になれるかどうかを含め信頼関係を築くことをお勧めします。

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